昔話

2010年03月07日

☆塚本和彦はスポーツマン風の明るい性格の男。青山学院大学フリスビークラブ、パワー・ハウスの部長だ。

代々木公園での練習場所は「丘」と呼ばれる一地帯。ここはコンクリート屋根のあるベンチスペースで、木のテーブルや売店もあり、すぐ脇の坂を数メートル下れば真下にトイレまである完璧なプレーヤースペース。。
晴れの日が続けば売店の上や屋根の上のコンクリートスペースにはホームレスが布団を敷いて、干したり、寝たりなんかしていた(ある夏の晴れた日の事。俺は早めに丘に着いて、ノンビリと着替えていた。確か、たまはちと斎藤と待ち合わせだったと思う。公園の売店も開店してばかりだった。俺、たまはち、さいとう、売店のおばちゃんの4人だけ。。
すると。するとだ、俺たちのベンチスヘース上、10畳位の円形のリートの上で朝寝坊をしていた、背の高い、ホームレス仲間から、ジャンボさん、と呼ばれる、185センチ猫背の男がノソノソと起きて来て、一日の活動を始めようとしていたのだった。痩せて、顔はいつも青く汚く、髪は当然ごみまみれでボサボサ、仲間に、たまにブツブツ切ってももらってる。ホームレス歴3年。公園の水道で体や頭を洗ってるが、知らない内に、蚤かダニか判らないが、目に見えない、色々な小さい虫たちに噛まれ、体液を入られ24時間痒くて仕方なくて、掻きまくって、、掻いてたら、その辺りから湿疹が身体中に広がり、顔や全身が腫れちまってるんだ。でも、体はガリガリだ、全身の爛れや湿疹は、ホームレスの宿命だよな。もー、あきらめるしかねーからな。人生こんなもんだろ。
でもよー。俺なんかよー、この代々木公園じゃ、ホームレス仲間はみんな知ってる位の有名人なのよ。以前、この公園の土地を争う抗争が勃発した時、渋谷側と代々木側、代々木公園を二分する組織で土地を巡る…〈(つづく〉)。)。。。。。

塚本たち、青山学院大学の人間は4~5人位で、あとは獨協大学・WAFT、武蔵大学・A―1KIDS他、東大、神大、東海大といった様々な人間が集まり、土日は男女30人近いフリスビープレーヤーがこの「丘」に集結していた。
代々木フリスビーファミリーは、また別な場所で練習していたので、この頃の(1981年)プレーヤーの集まり具合は判らない(ビー作かファグに聞いてもらいたい。)が。公園でよく会った(見かけた)代々木フリスビーファミリーの人間たちは、俺と同じ大学に通っていた七戸(当時の日本の総合チャンピオン!)や、ビー作、リー、たまはち、斎藤、北野、スポロン、たけし、ファグ、こさく、きくもん、といった連中(他にもいたが忘れた。)のだ。。

(つづく)


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2010年02月17日

キジョー先生の作品が読めるのはSpins Blogだけ!(?)

〈フリスタをやる身体と心〉
やあ!みんな!KIJOのCAFEへ再度のご来店ありがとう。
このCAFEでさ、珈琲一杯250円払う代わりに、一度来店してくれれば、次の休日には、みんなの集まるいつもの公園で君はフリースタイルの未来だ!  と、人から言わしめる位、フリスタ上達のエッセンスが散りばめられてるから。決して損はさせないよ。なんてね。
これは、一部の人に昔話を聞かせ喜んでもらおうとしてるわけでは決して無いんだよ(現状では、そんな事になってんじゃねえか、という声も聞こえています…)。
では。
〔アメリカ激闘編〕の続きをどうぞ。

ロスの空港で田舎者アメリカ人ピーター・ロバートと偶然合流した挙げ句に、4人は道に不安内な違法タクシーに乗ってしまい。予定より3時間遅れ、3倍の料金を支払って、ようやくフリスビーUSオープンの会場にたどり着いたのだった(ここまで、来る途中、一度休憩した、どこか判らぬ海辺の小さなハンバーガーショップ。そこで見たウェイトレスは、俺の思い描く典型的なカリフォルニアガール。愛くるしいスマイルに、腰まで伸びた金髪。ノースリーブの・にカットオフジーンズ、小麦色の長い足はなんと裸足で、金色の細いアンクレットがキラリ。「こっ、これは一体…、こ、これが、アメリカのギャルか、さすがだ!♪◎☆。側にいる日本人女性のゆみ子がオッサンに見えるぜ…。」と正直思った。)。♀♂※♯$#
ラミラダは広い、良く整備された公園だったが、上空はロスの光化学スモッグが漂い、気温35℃の気象条件下、爽やかとは言い難い、初「夢のカリフォルニア」となった。
沢山の人が、楽しそうにジャムっていた。その中には・でしか見た事の無い有名なフリースタイラーも結構見かけられた。
俺は、「やっと、戦いの地に来たぜ…。」
と、感慨に耽っていた。
すると、「キジョー君!」と呼ぶ声が後ろの方から聞こえた。
(つづく)

〈フリスタをやる身体と心〉。このタイトルと話の内容がリンクしてねーじゃねーか、と主宰者サイドの御意見があるよーですが、そんな事は有馬稲子ですよ…。USオープンを楽しく観戦した後、3人はコロラディカルズの招待を受けてグレイハウンドでコロラドに向かいます。そして再び激戦の地カリフォルニア、サンタ・クルスへと旅は続きます(が、コメントゼロとなったら、打ち切りも検討します…趣向も変えたい気が…読者も書き手も飽きてしまい…そうなったら書いてる意味無いもんね…)。



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2010年02月11日

先日掲載済み「裏Spins?」の続きとのことです。

1981年夏(再び)
代々木公園
俺はフリスビーをやりながら、横浜の神奈川大学にも通ってる。学校の帰り道、ほぼ毎日、東横線で渋谷まで来て、代々木公園へ。斎藤とたまはちは、バイト生活。夜勤の清涼飲料工場。彼らはフリスビー以外でもいつも一緒だ。ほんとに仲良しだ。斎藤は電気通信大学に在学してはいたが、学校には全く行かない。今年で6年。何故かは判らない、性格はまじめだし、見た目はダサいし。マラソンの宗兄弟に似てるとたまに言われてる。九州の高校時代はテニス部。国立の九州大学に合格したけど、東京でフリスビーやりたくて電気通信大学に入学した。フリスタが面白くて仕方ないんだな。練習すれば、するだけ、上達しているのが実感出来るんだろう。先日のサマーランドはフリスタ1位で日本代表入りだもんな(小林信也さん、感動して泣いてたらしいしな。)。アメリカだもんな。羨ましいよな。いいなー。カリフォルニアドリーミンだよな。たまはちはスポロンとフリスタ出て準決勝止まりだったから俺より下だな。俺は一応、決勝まで残って3位だったから。。でも、内容は悪いからな。恥ずかしいけどさ、この、斎藤とは並べられるような技術レベルじゃないんだよ。一緒に
出た同じサークルの、としちゃんや塚本とだったら、比べられるだろうぜ。でも2位なった駒沢の羽山君、石原君たちは、俺より全然上手いよな。この、たまはちは俺と同じ位かな。。他にも俺より上手い奴らがゴロゴロしてたぜ。名古屋の伊藤、山本ペアなんかは上手いし、なんか貫禄あるぜ。西の七戸、リーってところか。うちの女子にも人気あったよな。2、3人寄って行って、「ともかずさん、ともかずさん!」てさ、「ともかずさんのフリースタイル、すごく、きれいですね!。ともかずさん、ダンスとか、バレエかなんか、やってたんですかー?!」なんてね(後日判ったんだけど、山本氏は前年夏ローズボール観戦して、NYのフリースタイラー、ダニー・ローズのプレーに魅了されていた。ダニーはフリスタにダンスの動きの要素を加美した表現をしていた。81年当時は見た目の華麗さ、しなやかさ、を求めたフリースタイラーは日本ではともかず氏一人だったと思う。)。。うちのフリスビーサークルは、青山学院の女子たち、武蔵大学の女子たちもいつも一緒に練習してるからさ、女子多いんだよな、傍目からだと楽しそうで羨ましいんだろーな。代々木公園の他のサ
ークル女子ホント、少ないから。
それで、それで。うちのサークルの女子は、そんな風に彼のフリスタを褒めあげたんだけど。その、ともかずって人は、うちの女子に向かって、誇らしげに言ったんだな。
こんな風に。
「あー、うちの妹がクラッシックバレエやってるんだよね。」
って。俺は、その事実は、ともかず氏がフリスタ上手い事と関係無いような気がしたんだけど…。まあ、いいとして。フリスタ上手く、有名人だともてるなー。とは思った。
上がってたのかな?東京のギャルだぜ!とか、思いつつ。

(つづく)



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2010年02月08日

〈フリスタをする身体と心〉 

斎藤は皆から促されて、心を固め、おずおずと、笑顔で前へ進み出て、「エキュッ、エキュ、スキューズミー、マイ、ネーム、イズ、まさあ。マサー、さいとう、まさー、」などと、声をかけた。 その相手ピーター・ロバートは意表を突かれた驚きの表情、やや、逃げ腰の。
「な、なんと。3人の東洋人が俺に向かって、微笑んでいる!。俺に声をかけて来たこいつは、何て顔してやがるんだ!なぜ、手を後に回してんだよ?!こいつらも、もしや、USオープンに行くのか?俺がこの165を目立つようにわざとムキ出しで持っているのを見付けて、声を掛けて来たというのか!。まさか、こいつらはプレーヤーじゃないだろうな。こんなチビのやつらがフリスビープレーヤーのワケねーな。。だいたい何人(なにじん)なんだよ。ベトナム人か?しかし、しかしだ、こいつら、とにかく、どう対応したらいいんだ?。。。どうやら、異国の地で、マジで迷子で、途方に暮れている様子だぜ。。ここはアメリカ、俺の国。確かに、ロスには今日初めて来たし、はっきり言って、俺はド田舎もん。。大アメリカの小さな名もない街からやって来たんたからさ。。アメリカでは、まあまあ、有名なフリースタイラーの、ジム・シマールとディートン・ミッチェルは実は知り合いだ。でも、ウィザーズやサンタバーバラのやつら、コロラドのフリースタイラー逹みたいな有名人とは、話した事も無いぜ。コンペ会場で挨拶程度だ。。そ、それによー。フリスビーの大会が
偶然、あったからさ、良かったんだな。、無かったら、こんな、全米でもナウい街、ロスなんか絶対来てないぜ、用事も無いしな。さて、、この3人の事だったな、どーするかな。。わけ、わかんねぇーよな、まったく、俺だって大都会なんか来た事ねぇーんだからよ。。ラミラダ?、どーやって行ったらいいのか全く解らねーぞ。どーする?案内チラシ手元にあるけど、地図無いんだな。俺は人に聞く勇気はねぇぜ。。ある意味俺もこいつらと同じなんだよなー。英語が喋れるだけでよ、原宿に来る田舎の中学生と同じだぜ、ロスなんてよ、テレビドラマでしか見た事ねぇし。」
(つづく)

すいません。表題と中身がどう結びつくのか、僕にもまだ分かりません。
共に見守りましょう!



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2010年02月05日

〈フリスタをやる身体と心 〉

アメリカでは、色々な場所で多くのフリースタイラーを身近に感じる事が出来た。それは、本当ににワクワクするような刺激的な体験だった。なぜなら、それまでアメリカ人フリスビープレーヤーは8ミリ映画かビデオでしか見た事がなかったから。☆♪。。。。☆♪1983年夏
なんと、俺は、斎藤(フリスタのルパートナー、代々木フリスビーファミリー所属)とユミコ(青山学院大学フリスビークラブ、パワーハウス。所属)と三人でアメリカに旅立ったのだった。
ロスの空港で見つけた一人のアメリカ人フリスビープレイヤー、ピーター・ロバート。その時、デブ白人の彼は白の165をパディドリングしながら、ラミラダで行われているフリスビーコンペ、USオープンに向かう道連れを探していた。ユミコは、英文科でありながら、空港のチケット係の黒人女性が喋る英語に圧倒され、しかも、自分の喋る英語がまったく通じなかったという、悲惨な場面の直後だったので、マジで落ち込んでいた。
「斎藤さん!あの人。USオープン行くんじゃねぇのか?。ちょい、声かけてみてよ。」
「えっ、俺?ゆみこ頼むよ、」
「えっ、わたしっ?嫌だよー。今通じなかったばかりじゃん、、斎藤さん、話し掛けてよ!」

「そーだよ、斎藤さん声掛けろな、アメリカ2度目なんだからさー、おととし来たんだからさー、頼むぜー、マジ。」
と。俺は、自分にその役が回って来ないように、強く念を押して(笑)言った、のだった。
(つづく)

ちなみに、常に携帯からの寄稿です。



okmr_spinsokmr_spins at 23:48│コメント(3)トラックバック(0)
今夜ぽにょをやるので思い出した。
昔 三重県のメナードゴルフ場で 個人戦の全日本大会があった。おれたちはたぶん24歳とかになってたと思う。大会最終日 もう出発という時にロビーのテレビの前で男ばかり5,6人で話をしていたんだ。 テレビでは 風の谷のナウシカをやっていた。 そろそろ出発の時間だったんだけど、そのうち誰も話しもしなくなって、テレビに釘付け、出発の時間も忘れて最後まで。
ふと顔を上げると 名古屋からきていたフリースタイルのとてもうまい人は目頭を抑え、俺もかなりグっときていた。
それまで アニメなんかこどものものみれるか と思っていたのだが、依頼宮崎はやおは 全部ロードショーでみてきた。  魔女の宅急便 一人でみにいくのは ちょっとはずかしかったけどね。 

ふぁぐmurag1960 at 15:18│コメント(0)トラックバック(0)

2010年01月28日

この文章は、
今度公にしようと思っていた、Freestyleの話で、原稿はあるのですが、これも第二稿となるか、または、外伝となるか、どちらにしても、Freestyleへの道の1章なので、みんなにとって参考になると思います。

1981年夏
全日本選手権
Freestyle
3位

渋谷、新宿の空の下。代々木公園。
木々の間に立ち込めるスチームのような、湿気、濃い緑、こんな日は無風。
「今年の夏は蒸し暑かった。毎日練習に明け暮れてこのざまか。
流した汗は純粋だ。なのに付いて来ない結果。他の種目はどうでもいい、Freestyleは誰にも負けたくない。」
「全日本3位では、香川県で待つ6人のフリスビーフリークに会わせる顔が無い。」

「皆であれだけ熱中して、海で、神社で、公園で投げ合って、フリスビー好きを自認してはばからなかった俺達だ…。」

キジョーは、代々木公園の木立ちの中をそんな事を考えながら歩いて、玉八や斉藤さんと待ち合わせた、いつもの練習場所に向かっている。玉八も斉藤さんも昨日までの全日本でしのぎを削ったプレイヤー同士。斉藤さんはFreestyleで優勝。*******「さすが大学を二つ投げ出し、卒業を棒に振って打ちこむ、フリスタ(freestyle)道。365日雨と雪の日も代々木公園にやって来る。誰よりも多い練習量。体のきれ、技のきれ、今の日本じゃぴかいちだ。」
キジョーは、斉藤さんについては、そんな風に思っている。
玉八やスポロン、ファグやキジョーそれぞれのFreestyleは、さすがフリスビーの聖地、代々木公園を根城にしてるぐうたら集団だけあって、今の日本ではトップクラス。そして、彼らも又、斉藤さんが、今現在進行中の学業的失敗(大学中退)に似て、遠からずの日々を送っているから。
要するに、日本のフリスビーエリート、特にFreestyler(フリースタイラー)と自認している人間達は、それぞれがこの社会での「掟破り物」なのだ。フリスビーに熱中する気質は狂人にも通ずるという事を証明しているかのように。最近、代々木公園に顔を出す事の少なくなったB作もそんな仲間の一人だ。

全日本の終わった翌日の、どんよりと風の無い代々木公園、太陽は出ていないのにこの蒸し暑さ。
前方200メートル程の所に、斉藤さんと玉八らしき人影がすでに練習に来ている。
「さすが、気狂い斉藤、たかりの玉八。もう代々木に来ているとは…。各大学のフリスビーサークルも、全日本の翌日、しかも夏休みに入ってるので、もうしばらくは練習にやって来ないだろう。
何が何でも、ここにやって来るのは俺達Freestylerだけ、ファグやスポロンもそのうちやって来るはず。俺達が朝起きて先ず考える事は代々木公園に行くこと。彼女とかいった、気の効いたものからは何万光年も彼方の星で俺達は生きている。」
キジョーは思わず笑いが込み上げて来るのを押さえられない。

斉藤さんは、右手の上で回転するプラスティックのディスクを顔の30cm上に浮かせ、その場でか2回転、ダンサーが体を回転させるような軸のブレないスピン。そして、落ちて来るディスクのスピードにぴったりのタイミングで右足の下をくぐらせたディスクは、元の右手の爪の上で、唸るような回転はそのまま。
上半身は裸、骸骨みたいにこけた頬、浮き出たあばら骨。洗い晒しで白っぽく色落ちした緑色の短パン。流行遅れの前髪だけ長い髪型。アシックスのバレーボールシューズ(ソールの材質が、地面の芝をよく噛み、滑りにくいという事に、freestyler達の間ではなっていた。)。
「よう!」
「オーッ、キジョー」
つづく

過去のメールを整理してたらこんなの見つけたので、筆者の了承のもと転載してみました。
苦情は受け付けます。
なお、続きは今のところ存在しません。



okmr_spinsokmr_spins at 00:22│コメント(2)トラックバック(0)

2009年12月25日

なぜか たいみんぐよく 大淀地獄車のブログで この時の キジョウ&斉藤のフリスタの様子をアップしてくれていましたの ぱくっとな。



大淀地獄車とは 大阪のフリースタイルチームですね。
もとは こちらから
http://oyodojigokuguruma.blogspot.com/



ふぁぐmurag1960 at 01:13│コメント(1)トラックバック(0)

2009年12月23日

さてさて おじさんたちができることは昔話くらいなので、そのむかしのフリスビーシーンがどんなだったかを書いていこうと思います。 あまり資料やメモもなく 記憶をたよりにかいていくので、まちがったこともあるかもしれないことをご承知おきの上、読んでいって下さい。83DugAndRick

とりあえず 写真があるところで 1983年のSantaCruzでおこなわれた Wold Disc Chanpion Ship のことでも。

写真は コロラディカルズのメンバーのダグブラニガンと リックカスティグリアの練習風景です。 この大会のフリースタイルは(このときは)ペアだけだったため、この二人で組んで出ていました。ビルライトはラリーインペリアルと組んでいたんではないかな?

ワールドフリスビーチャンピオンシップに対抗して、ワームオー以外のディスクを使用してよい大会の最高峰とされていたのがこの大会でした。
アルテミット、ゴルフ、フリースタイル、SCF、ディスタンス、DDCをサンフランシスコのちょい南にあるサンタクルツのUCSCでおこなわれていました。 日本からは東京経済大学シーガルズを中心としたアルテミットチーム、横田、武野、三田(兄)、ともかず、斉藤、キジョー、パンダ、柿本ちえこ(ちえちゃん)、稲見なおこ、ひろこ(あとほかおもいだせません)などなど結構たくさん参加してました、鈴木ひろとくんも写真にのっとるからでてたんですね。 だれか記録もってたら教えてください。  今日はこれくらいにしておいて、また おいおい写真など整理しながら書いていきます。

ふぁぐmurag1960 at 18:34│コメント(2)トラックバック(0)